名古屋工業大学ヨット部

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引退ブログ#1

お世話になっております。前年度、名古屋工業大学ヨット部の主将を務めました、加藤雅基です。

小戸インカレが終わり、6日が経ちました。インカレ終了後の全体ミーティングでは少ししか話せなかったので、本ブログにて、主将を務めたこの1年について執筆していきます。文章の作り方、伝え方はあまり上手ではありませんが、最後まで見ていただけると嬉しいです。

 

 

 

 


約1年前、琵琶湖インカレ最終日に主将を任命されました。代々主将を務めてきた先輩方を見て、「大変な役職だ」、「面倒くさい」と思ったと同時に、2年生の時にヨット部を辞めようと悩んでいた自分がチームのトップに立つなんておこがましいとも感じていた(今の3年生がよく知ってます笑。詳しいこと知りたければ、聞いてみてください)ので、石川監督の車で、村田コーチにも挟まれ、主将をやらないかと勧められたときにすぐ断りました。琵琶湖に到着した初日に、石川さんにキレて気分が良くなかったというのもありますが、、

ここからあまり記憶がありませんが、なんやかんや渋々主将を受け入れました。多分、村田コーチによって上手く丸め込まれたんだと思います。

 


主将を任されたものの、主将ってどうあるべきなのか分かりませんでした。

チームをまとめること?チームの何をまとめるの?ただでさえ個性が強いのに?

こんな状態で1ヶ月が経ちました。

1月、石川監督と姫路にあるオクムラボートに船を持っていく機会がありました。その車内で、「一人一人のベクトルを目標に向けることが主将の務めである」と教えていただきました。そのときはそれで納得しましたが、インカレ入賞という目標に対して、どうやったらみんなの気持ちを合わせられるのか、どこから始めようか、など細かい疑問が後々生じてきました。まあ多分、悩んでいる過程で気づくこともあるだろうと、とりあえずみんなのモチベーションを下げないようになんとかやりました。

 


3月になり、新人戦を迎えました。インカレで入賞するためには、ここで完全優勝することが通過点になります。結果は、470クラス1位、スナイプクラス1位の完全優勝。ひとまず中間目標を達成できて一安心しました。

ですが、この4ヶ月、何かを軸にチーム形成する方法が分からないままそのとき限りで凌いできたため、心の中はずっとモヤモヤしたままでした。「このままであと8ヶ月やっていけるのか?」「早くしないと手遅れになる、何とかしないと」と、目標を達成したのに心の底から喜べませんでした。

 


4月になり、新歓シーズンに入りました。今年度から誰も経験したことのない対面新歓が解禁され、2,3年生が中心となり新歓に取り組んでくれました。結果、20人超えの一年生をヨット部に迎えることができ、2,3年生はよく頑張ってくれたと思います。本当に感謝しています。

そして40人ほどの大人数の団体になった訳ですが、今まで以上にチームの統率を取るのが難しくなりました。特に、艇庫生活の管理です。

今年から艇庫生活の許可が降り、1日のスケジュールを1から決めて、体育会系まではいかないけれど、時間にルーズな名工大生の統率を取ろうとしました。まあそんな上手くいくはずがなく、スケジュール通りに動いてくれたのも最初の1,2週間だけでした。艇庫生活長がいながらも、誰も時間に厳しい人がおらず、仕方ないから主将である自分が管理しようと思いました。6:50に起床しない部員を起こしたり、夜ご飯食べ終わって掃除しようとしない部員を注意したり、24時を超えても1階で馬鹿騒ぎしている部員を怒ったりと、まるでヨット部のお世話係をしているような気分でした。石川監督にご教授していただいた主将のあるべき姿になろうとしているのに、世話係しているから、その理想像に全然近づけない。他の上級生にも生活を管理してもらおうと頼んでも特段効果なし。というか、自分の方が注意していた記憶があります。「注意しても無駄だから」なんてことを何回聞いたことか。結局、人任せなんだと悲しくなりました。

 


そうこうしているうちに、6月になり個人戦予選を迎えました。私は2年生スキッパーと出場しました。結果としては、予選敗退で、スナイプからは1艇、470からは3艇、予選を通過しました。インカレ入賞を達成するために、「各クラス3艇通過」を中間目標にしていたのに、未達成。自分の所属するスナイプチームだけが達成できていなかったため、1プレイヤーとして責任を感じましたが、それよりも、主将になって半年が経つのに、自分がやってきたことが結果に影響していることが実感できなかったことが1番悔しかったです。まあそれもそのはずで、お世話係みたいなことをやりながら、大学とのやり取りをやってヨット部を運営し、部員一人一人を鼓舞する時間がなかったから、そういう結果になったのだと思います。自分よりクラスリーダーのほうが、選手のモチベーションを引き出し、強化できるのではないか?と思ったりもしました。

そこでスナイプリーダーである瑞生、昨年主将を務めた慧海さんに相談しました。2人とも共通して、「無理なことは割り切って、主将の本来の務めに時間を作るべきだ。世話係なんてもんは3年生に任せて、やってくれると信じればいい」と言っていました。そのお陰で、本来の務めを果たすことに時間を割くことができました。3年生も上級生の自覚が湧いたのか、全体に声を出してスケジュール管理をしてくれるようになりました。

 


7月のファミリーデーが終わり、自分がセーリングに100%集中できる状態になりました。今まで、イベント運営や事務をやってきてセーリングに全振りできない不満が溜まっており、それを全て吐き出すかのように練習に励みました。夏合宿では例年より1日多い、週5日練習にして、さらに自主練もするくらいまで追い込みました。8月末は早稲田大学さんと合同練習するため、1週間艇庫生活みたいなこともありました。2,3年生はよくついてきてくれたと思います。

インカレ予選が近づくにつれ、チーム全員の目標に対する意識・モチベーションが高くなってきました。これは時間的な要因もあると思いますが、一つ自分が意識してきたことの結果であるとも考えています。それは、主将自らが、何事も本気で動くことです。これを言うと、それまで本気じゃなかったのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。今まで、みんなの目標に対する気持ちを一つにまとめようと口だけで指示してきました。これはセーリングのモチベーションだけでなく、生活態度も含みます。しかし、みんな人任せなので、改善は見られませんでした。そこで、この人任せな性格を上手く使ってやろうと思い、主将自らが、口だけでなく行動で示すことで、「主将がやってるからやった方がいいな。みんなやり始めたし、自分もやろう」という雰囲気を作ってきました。本当に自分のしてきたお陰かどうかはわかりませんが、なんとなく影響しているなという手応えがありました。

 


そして迎えた、インカレ予選。この良い雰囲気のまま乗り切って、全員で小戸に行こうと声をかけレースに臨みました。

初日から470チームが圧倒的な成績を残しましたが、スナイプチームは暫定4位で1日目を終えました。1位と19点差で、残すところあと3レース、風予報と最終予告を考えると現実的に2レースでした。ミーティングでは、「うちのボートスピードはどこよりも速いし、フレッシュさえ掴めれば5位以内は取れる」「全レース10点以内に収めれば通過できる」と、みんなポジティブに話し合いをしており、心配がありませんでした。

そして2日目のレースが始まりました。僕が乗る船はトップフィニッシュを決めましたが、チーム全体としては18点。名古屋大学が3,4,6位という成績を残し、さらに差が広がりましたが、まだまだ可能性はあります。必ず小戸に行くんだという気持ちを持ち、第6レースに臨みました。中デッキくらいの微風でスタートしましたが、途中さらに風が落ち、我々が苦手とする微風コンディションで結果23点を取ってしまいました。この時点で1位と37点差になり、チーム全体に暗い雰囲気が流れました。風待ちをしている時間がとてつもなく地獄でした。そしてAPAがあがり、スナイプチームの予選敗退が決まりました。この1年、今までにないくらい練習してきて、色んな壁にぶつかっては乗り越えてきたのに、それが報われず涙が止まりませんでした。曳航中、ペアである修弥とも、誰とも会話をしたくないほど何も考えられませんでした。着艇したら、どこかへ逃げてしまいたいとも思っていました。

しかし、チームを率いる主将である以上、自分勝手な行動は許されません。着艇後、悔しさと悲しさで喉の奥が痛くなるのを必死に堪えながら、全体ミーティングを行いました。とにかく、期初に立てたチーム目標が自分の力不足のせいで達成できなくなったことが本当に申し訳なく思いました。

 


結果として、名工大からは470チームがインカレ出場を決めました。インカレまでの期間はサポート側に回ることになり、インカレ期間中も支援艇ミーティング、陸待ちミーティングをしたりと選手を最大限サポートできるように務めました。

(インカレのレースについては、陸斗や森が書いてくれそうなので割愛させていただきます)

 

主将を任命されてから、主将らしい仕事をできるまでかなり時間がかかりましたが、団体戦予選前からインカレまでとかなり少ない期間で、チーム力が目に見えて上がっていくことが実感でき、自分のやってきたことが間違いではなかったと感じ、報われた気がしました。もし、そう思ってない人がいるのであれば、それは私の力不足です。申し訳ありません。

 

チーム目標である、「全日本インカレ総合入賞」を叶えることはできませんでしたが、この1年、この目標に全力で突っ走り、成功したこと・失敗したこと、色々なことを経験しました。入賞するチーム作りなんて、未だ誰もやってこなかったため、自分が作るなんて無茶だと思っていましたが、試行錯誤を繰り返し何とかその礎は作れたんじゃないかと思います。特に、次に最上級生となる3年生は間近で見てきているので、よく分かっていると思います。私の代で成せなかったこと、失敗したことを元に、今年よりさらに強いチームを作ってください。

 

 


最後になりましたが、ヨット部を続けて良かったと心の底から思います。慧海さんも仰っていましたが、主将になってから、先輩・監督に怒られてから、同期と衝突してから、様々な場面で得られるものがありました。これは名工大ヨット部以外では経験できるものではないと、自信を持って言えます。人にも環境にも恵まれた4年間でした。

 


以上で、私の引退ブログを終了させていただきます。この場を借りて、このような貴重な経験をさせてくださった、石川監督、村田コーチ、OB・OGさん、最高の同期、可愛い後輩達、その他ご支援してくださった関係者の皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 

名古屋工業大学ヨット部主将 加藤雅基

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