4年スナイプの上村侑大です。
とうとう最後のブログとなってしまいました。毎回、部として自分はどうあるべきか、どういう部であるべきか、と書いてきましたが最後くらい自分を見つめ直してみます。(OBOG、同期、後輩に対してはまだ話す機会があるので、その時に話します)
自由なセーリングが出来たのか –––––
最後のレースシーズン、全く結果が奮いませんでした。
いつもの練習ではそこまで遅れを取ることはなく、まあまあな走りなのに、レースが近づくと、細かいことが気になりだして、機械のようになり
アンダー入ってきたからジブリーダー1前に、風のわりに波あるからアウトホール2cm抜いて、揺らさない、…
やって当たり前でこの意識はいいことなのだろうけれど、悪い方向に、神経質になっていきました。
そしてレースでは帆走に集中せずに他艇を気にし過ぎで、ボートスピードがない状態に。大会までにスキッパーでのロングレグの経験は草レースを含めても6回しか経験できていない。(言い訳)舵を握りながらのコース引きが出来ずに苛立ち、クルーがミスをするとムッとし、1上で順位が悪いと絶望して、雰囲気を悪くしていました。(中山ごめんなさい)
兎に角神経質になりすぎていました。
柔軟さを欠き、色んな知識を付けては、理論化、一般化して感覚は言語化...
どんどん硬いセーリングになっていきました。
昔は質問する時も、説明する時もグワーっと、ヌルっとなどと
擬音語を多用して感覚だよりに、自由なセーリングが出来ていたと思います。
言語化は悪いことだとは思わないし、寧ろいい事だと思いますが、何でもかんでも型に落とし込んで、セーリングを堅苦しくして、首を絞めていました。
ヨットは、風がセールにあたって進むだけだから
風を良く知っている(見える)ひとが速い
そう考えると気が楽で、僕には必要な考えだったと思います。
知識つけすぎて脳が凝り固まっている後輩がいたら
どんな戦略、戦術も風が見えないと効果をなさないことを肝に銘じて、風と友達になろう、ヨットは楽しいよ
(このブログを書いているうちに、神経質(意識し過ぎ)→ゆとり→神経質→ゆとり→...を繰り返して上手くなるものなんじゃね?とか思ったけど書くのはここでやめておく)
本気で成長したか–––––
2年生までは出来ていたはず。1年の時、2年生ではスキッパーになって全スナにでる。などと高すぎる目標を立てて、講習会の時や実業団の方にも質問し、目標を達成すべく実際に動いていました。
3年生はいろいろあり腐り、その次元ではなく、4年生では漸く望んだスキッパーになれたのに、自信家の上村は消え去り、目標は現実的で、まず周りに追いつかないとやばくない?という感じでした。そして、実業団と一緒に練習するレベルじゃないからコンタクト取るのが億劫になったり、上手い人にぐいぐい質問出来なかったりして、成長できるはずの道を閉ざしていました。本気で成長したいなら、自信を持って、もしくは恥なんて気にせず、教えてもらわないと駄目でした。
中部は強い実業団がいるし、環境も整っている。(それが故に、がめつさがないのかも)
本気で成長したかったら、そのための行動をしよう。
教えてもらいたいのなら取り敢えず連絡してみよう、なんかは起こるはずだから。
ヨット部に入って良かったか–––––
良かったに決まってる。
この歳になってまで、同じ目標に向かって努力できるなんてそうないことで、最後の大会で名工大ヨット部で部活をしている意味、価値を感じることができました。
もう、このメンバーで、この熱量ではヨットができないのか
引退してヨットして、全スナ目指してもそれは全然違う。この想いは部活でしかなり得えません。
1年前、学業が疎かになり過ぎて
部活はなんでやってるの?楽しいとか、意義があるとかじゃなくて、もちろん将来ご飯が食べれるんだよね?
と、ある先生に言われました。(学業やらずに楽しいことだけやるな、という忠告というのはわかっているけど、かなりムカついた)
実業団に入るためにやってます。
と、嘘をついちゃいました。
もちろん楽しくて、意義があるからに決まってます。目標に向かって努力する仲間と遊んだり、ご飯食べたり、仲悪くなったり、泣いたり、喜んだりと色んなことができてよかった。
また、ご飯食べにいきましょう。
ヨット部最高だったー!先生きいてる?(笑)
次のブログはきいみつきです。
最後に聖矢に便乗して
主将であり心の友の阪倉海斗。お疲れ様。
ウインド誘ってくれよ。
同期の写真です。